2022.05.19

【note連載】怒るのは大人の都合、「待つ」ことに決めた校長の話

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怒るのは大人の都合、「待つ」ことに決めた校長の話

 こんにちは、新渡戸文化小学校note編集部の染原です。「学校の、なかのひと」と題して、新渡戸文化小学校で働く人や、そこに留まらない様々な学校の「なかのひと」を取り上げていく連載。2人目は新渡戸文化小学校の杉本竜之校長です。

 杉本さんは2020年4月に同校の校長に就任しました。一度教員としての定年を迎えていたにも関わらず、引き続き教育現場の第一線に留まるという決断をして、新渡戸文化学園に赴任。その決断の背景には、新渡戸文化学園が学園全体で取り組む「自律型学習者」を生み出す過程をこの目で見たい、そしてそれを実現しようとしている先生たちを応援したい、という気持ちがあったといいます。今回は、そんな杉本さんにお話をお伺いしました。

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プロフィール
杉本竜之(すぎもと たつゆき)

1959年、静岡県藤枝市に生まれる。大学卒業後、1981年4月から埼玉県公立中学校の数学の教員として奉職し、教員として22年間、市教育委員会に6年間、中国蘇州日本人学校の3年間の勤務を含め教頭、校長として10年の経験を経て2019年3月に定年退職。2019年4月より新渡戸文化中学校に非常勤講師として着任。2020年4月より新渡戸文化小学校校長、2022年4月からは新渡戸文化こども園の園長も務める。

 「新渡戸の先生たちを見ていると、いつもワクワクするのです。この先生たちが思いっきり教育に打ち込めれば、きっとよい未来ができると思える。教育は、未来からの要請です。今までやってきたことを盲目的に繰り返すのではなく、数十年後の未来から逆算して、何が必要かを考えるべき。新渡戸の先生たちは、必死になってそれを頑張っている。だから、この先生たちを応援したい、支えたい。そう思いました。そして何より僕がこの学校の先生の一番のファンなんです

 杉本さんが「ファン」と言い切る先生たちに出会ったのは、2019年3月。たまたま知り合いの教師からの紹介で、新渡戸文化学園の先生たちの集まりに参加させてもらったことがきっかけだったといいます。

「変化が好きなんです」

 「山本(崇雄)先生など数人で今後の教育についてざっくばらんに話し合うような会に呼んでもらったのです。定年後の次のキャリアが決まっていたタイミングでした。会には、新渡戸文化中学校の先生もいましたし、新渡戸文化学園の平岩(国泰)理事長もいました。当時はまだ別の学校で教えていた山本先生も、その直後に新渡戸文化中学校に着任となりました。私自身は、参加者という感じではなく、末席でその話を聞かせてもらうような感じでした。その会で先生たちが『子どもが自ら考えて判断・行動できるようにしていかなくては、日本の教育が、そして日本がだめになる』といったようなことを熱く語っていたんですね。熱を帯びた話は、そのあと向かった居酒屋でも続きました」

 興奮収まらぬ中、帰路についたその日から1週間も経たないある日。杉本さんのもとに、一本の連絡がありました。新渡戸文化学園が非常勤講師を探しているということでした。聞くと、探しているのは、中学の数学非常勤講師、さらには、アフタースクールでのサッカーの先生だといいます。

 「僕は、数学の教員免許を持っていたし、サッカーのコーチの免許も持ち、30年以上も部活動の顧問をしてきた人間でした。これが国語の非常勤でも、野球の指導員でも、私は該当しなかったんですよね。もしも可能性があるならと考えて、思い切って新渡戸に連絡してみたんです。本当にたまたまのご縁でしたが、快諾いただき、晴れて新渡戸の一員になることができました」

 定年後の就職先と決めていた職場に断りの一報を入れて、2019年4月、杉本さんは、非常勤の数学教師、さらに、アフタースクールのサッカー指導員として、新渡戸文化学園の門戸をたたいたのでした。あの先生たちの話し合いから、1ヵ月。急転直下の出来事です。

 「変化が好きなんです。与えられた機会にまず乗ってみるのは、教育の世界に入ってからずっと心がけていることかもしれません。変化の波に乗っていると、結果振り返ってみて、自分にとって最良の選択だったということが多い。新渡戸からのご縁も、自分に何ができるのかと不安でしたが、あのとき、教育の未来について熱く語っていた先生たちを少しでも支えられるなら、とその一心でした」

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今年からこども園の園長にも就任。小学校だけではなく、どこにいっても子どもに囲まれる杉本さんのことを、周りの先生たちは「新渡戸の明石家さんまですね」と話します

「静かに!」をなくしたい

 非常勤として関わり始めてから半年後。さらなる変化が訪れます。当時の小学校の校長が2020年3月で定年になるため、校長補佐の仕事をやってくれないか、と依頼されたのでした。2019年9月から校長補佐に就任、2020年4月から新渡戸文化小学校の校長となります。

 就任当初、「自律型学習者」を育成するために、1つだけ決めたことがあったといいます。それは「待つ」ということでした。

 何も言わないで待つ。子どもたちが自分でやり始めるのを待つ。怒らずに待つ。

 「僕らが目指す『自律型学習者』というのは、自分で周りをよく観て、自分で考えて判断して行動できる人間です。そのために、とにかく待つ。子どもが自ら動くのを、じっと待つ。怒るのは、大人の方が待てなかった証拠。指摘すれば、指摘したことだけできる子どもはできますが、自ら考える子どもは育たない」

 例えば、全校集会。校長先生が前に立ったとき、「静かに!」と校長先生が言うのは、見慣れた風景です。一方、杉本さんが目指す姿はそうではないといいます。自分たちが今何をすべきかを考えれば、話をやめて、先生の話を聞こうと、気持ちを切り替えられるはず。周りに話している人がいれば、「しーっ」と声を掛けることができるはず。杉本さんはそう言います。

 一方、杉本さん自身にとっても、「待つ」教育は、チャレンジであり、自らの教育手法やその哲学を改めていくことでもありました。

 「僕自身、『起立!気をつけ!礼!』といったら呼応するような子どもたちの集団を作り上げる教育をしてきました。そのように指導するなら、もちろんできます。そして、それ自体は、あの時代において間違ってはいなかったとも思っています。でも、今は、そうではいけないんです。言われたことを言われたとおりにやる人間を量産することから、私たちは思いきって脱却しないといけない。決められたゴールに向かうことのできる人間ではなくて、ゴールから再定義できる人間。子どもたちがそういう人間になるためには、偏差値だけを金科玉条として掲げる教育にはもう限界があります

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杉本さんが校長室にいることはほとんどありません。いつも、神出鬼没に教室に登場。勉強をみたり、じゃんけんをしたり、と自由です。

「信念を持った先生たちの背中を押すことが僕の仕事」

 一方、現場はそう簡単にうまくいかないのも現実。子どものタイミングを待っていても、すぐに結果が出るわけではありません。

 「『待つ』と一言で言っても、本当に難しい。授業中に、教師が子どもたちが自ら動き出すのを待っていると、寝転がっている子どもがいたり、鉛筆を転がしている子どもがいたりします。端から見ると『授業してるの?』となりますよね。親御さんが心配することもありますし、担当の教師はそれを言われて、肩を落とすこともあります。そんなときこそ僕の出番。僕は先生たちの最大の応援団ですから、信じてやり抜いて欲しいと言って、再び顔を上げて教室に向かってもらえるよう毎日叱咤激励しているのが現状です」

 杉本さんは、子どもにも、先生にも、「やりたい!と思ったことができる」「自分たちがこの学校を作っている」という実感をもってほしいといいます。先日の記事で紹介した「全校ミーティング」もその1つです。

 人は本来「やりたい!」と思ったことをやるときに、一番パワーがでるはず。杉本さんはそう信じているのだといいます。

 新渡戸文化小学校では、プロジェクト科やクロスカリキュラムを進めていますが、これも「やりたい!」を尊重することの一つ。例えば、国語算数理科社会、といった時間割ではなく、好きなことを見つける、そのあとに、その好きなことに関わることをあらゆる知識や科目を総動員して取りかかる、そんな新しい授業の形を作っていきたいと言います。

 「それができれば、目指している教育の7合目くらいまでいけるかなと思います」

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「いつでも来ていい」となっている校長室にはマンガがびっしり。校長室は、放課後にはアフタースクールの高学年の子どもたちの憩いの場になっているといいます。

 偏差値に代表される「一つの指標」で図られる時代は終焉を迎えているにもかかわらず、教育界が変わっていかなければ、「未来からの要請」に答えられない。

 「子どもたちにも、変化を恐れない『可塑性』を持ってほしいと思っています。その方が人生は楽しい。自分は何を知っているのか、ではなくて、自分が知っていることで何ができるか。そうしたことを、世の中の変化に応じて考えられる人になっていってほしいですね」

 杉本さんの挑戦はまだ始まったばかりです。

※マスクを着用していない写真は、撮影用に、一時はずしていただいたものです。

取材執筆:染原睦美 

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